30歳、ミャンマーで2年半働いて学んだ10のこと
- 2018.08.03
- ミャンマー

ミャンマー駐在から帰国して半年近くが経過しました。
帰国した後は、子供が生まれて育休を取ったり、引越しをしたりと、バタバタしていて中々時間が取れませんでしたが、ようやく落ち着いてきたため自分の備忘録としても書いてみました。
ミャンマーに関するエントリーというより、東南アジア赴任全般に関する内容が多いかもしれません。
内容は個人的な感想ですので、あしからずご了承ください。
ちなみにこの記事を書くにあたっては、小野寺聡さんのエントリーからきっかけを頂きました。ありがとうございます。
1. 日本の丁寧なサービスは海外で絶対にウケる
ミャンマーにいた2年半の間、本当に様々な貴重な経験をさせて頂いたように思う。
途中1年半ほど経過した時点で仕事の内容が変わり、より会社の外の世界に接する機会が増えたこともあるが、日々の生活や仕事の中で、数多くのミャンマー人や、ミャンマーへ働きに来ている外国人、現地在住の日本人と様々な出会いがあった。
その中で強く感じたことの一つが、日本人の強みは世界で絶対にウケる、もっと世界に広めていきたいということ。
厳格な時間感覚、有言実行、しっかりとした「ホウレンソウ」など、日本人はとにかく基本的なビジネススキルに長けていて、それゆえサービスの質が非常に高い。
これらのスキルは、日本では息をするように当たり前にできている人が多いと思うが、海外では決して普通ではないと感じた。
例えばミャンマーで住んでいて感じたのが、ミャンマーの人たちの時間を守ることへのルーズさである。
約束した時間に来ないのは当たり前として、2〜3時間遅れて到着してお詫びの一言も無いのはいつものことだったし、時には1ヶ月ほど連絡なしに遅れることもあった。
何かあった時にそれが問題かどうかはサービスの受け手がジャッジすることだと思うのだが、ミャンマー人は口癖の「No problem」を連発して、なぜかサービスの提供者である彼らが「大丈夫だ」「気にするな」等と言ってくる。
・・・こうしたことは、初めのうちはその度にイライラしてしまったものだが、慣れてくると逆に清々しいとさえ思えてくるから不思議だ。
とはいえ、サービスの質の観点から言えば、日本人の丁寧なサービスはかなりレベルが高いと思う。
中には、日本には他の国には無いほど突き抜けてレベルが高いものもある。
例えば、商品を包装紙で何重にも包む文化であったり、接客での丁寧な応対などは、商品に付加価値をもたらすサービスとして、世界に通用するものだと思う。
2. 東南アジアはビジネスチャンスの宝庫!
ミャンマー含め東南アジアには、まだまだ手付かずの資源が沢山転がっている。
例えば観光地。ミャンマーの郊外へ行くと、ほとんど開発されていない綺麗なビーチが唸るほどあった。
また観光都市としては決して有名ではない小さな街にも、驚くような素晴らしいパゴダ(仏教寺院)や名所があったりする。
例えば天然資源。ミャンマーには世界的に有名なルビーや翡翠、琥珀などの宝石のみならず、チーク木材、マンゴー(センタロン)などは世界に誇るべきミャンマーの宝だ。
また人件費がまだまだ安い国であり、より良い仕事を探す求職者が沢山いる。何か事業を起こすとしても、共に働く人を探しやすい環境だと思う。
実際に現地で起業し、ビジネスチャンスを形にしている日本人は沢山いる。
彼らの事業領域としては、「日本人顧客がターゲットのビジネス」か「海外顧客がターゲットのスモールビジネス」に大分される。
個人的に注目している(お世話になった)のは、ジュエリーブランド「クルムティオ」を経営されている谷恭子さん、ハウスマネジメントサービスの「HerBEST」を経営されている村上由里子さん、「ミャンマー不動産コンサルティング」の片桐俊吾さん。
お三方は、主に日本人顧客がターゲットのビジネスを展開して成功されている。
ミャンマーは経済成長率7%の国で、今後も伸び代が大きいと思われるが、まだまだ大手の介入は少ないだけに参入障壁が少ない分野が多く、そうした分野はビジネスチャンスと言える。
3.良い商品を見極める眼を持つミャンマー人
先にも触れたが、ミャンマーには手付かずの天然資源が沢山あり、良い素材にあふれている。
しかしそうした中でマーケットに並ぶ商品は、良い商品だけかと思いきや、模倣品や粗悪品、長期間の保管で傷んでいるものも多い。
現地での買い物においては、素材が良いか・しっかりと作り込まれているかを吟味することがとても重要である。
そのため現地のミャンマー人は、素材や作りの丁寧さ等をしっかりと吟味した上で、より良い商品を選別するスキルが身に付いており、この点については学ぶべき内容が多くあった。
他方、日本では、何か商品を購入するときに、ある程度の金額を出せばある程度しっかりした商品が確実に手元に届く仕組みになっている。
そのため、日常において商品の素材の良さや出所、製作者のスキルや運送・保管方法等々を意識することは比較的少ないように思う。
また日本の商品は、デザイン性・品質の均一性には優れているが、素材の良さにおいては必ずしも優れているとは言えない。
ものによるが、大量生産された商品が多く、本物の素材の良さや生産者の手の温もりには出会えない場合も多い。
海外で色々な商品を見ていて感じたのは、同じ金額であっても海外の商品の方がより多くの手間をかけ、より良い素材を使っている場合があることだ。
日本人は商品の素材そのものの良さを見る目をもっと身につけるべきだ。
4.東南アジア諸国の発展には眼を見張るものがある
ミャンマーはGDPが東南アジア最低の国の一つであるが、それにも関わらず最大都市ヤンゴンには数百万円する車が沢山走り、高級住宅街を歩けば豪邸が立ち並んでいる。
さらに、現地で住んでいると、ほぼ2〜3ヶ月に1度くらいのペースで新しいマンションやデパートがオープンしたとの情報が入る。
始めは、これらのお金はどこから来るのか不思議でならなかった。
というのも現地の一般的な給与は月平均で200〜300USD程度と言われているし、それに対して住宅費がかなり高く、現地のローカルコンドに入居しても100USD〜200USDくらいは平気でかかると聞いていたからだ。
しばらく住んでいて知ったのだが、どうも一部の権力者(軍・政府関係者)の他にも、海外からの出戻りでビジネスチャンスを掴んだ起業家たちや、国内の不動産ビジネスなどで一発当てた成功者たちが、相当のお金を持っているらしい。
急激な民主化、海外勢の参入により、海外資本が流入していることもあるが、現地でも一部の資産家は海外勢に負けないくらいの資産を抱えている。
そして海外資本を獲得するために、日々凄まじい勢いで発展が進んでいた。
さらにミャンマーのみでなく、例えばタイやマレーシアの発展ぶりはすでに日本を超える勢いだ。
高層ビルやマンションが広範囲に立ち並び、現地の人で溢れかえるデパートには高級志向の商品が陳列されている。
東南アジア諸国の資産家たちは、日本の資産家を超える資産を有していると聞く。
また日本と比較すると少子化問題もさほど進んでおらず、経済成長率は依然として大きい。
うかうかしていると、日本が他国の成長に置いていかれる将来が確実にやってくる。
5.ミャンマーの寄進の文化、素晴らしい
ミャンマーは敬虔な仏教徒が多い。一生に一度はほぼ全ての人がお坊さんとして出家するらしいし、毎日のように現地のパゴダへお参りする人が多いことからも、そのように言える。
そしてミャンマーに特徴的なのが、寄進の文化がとても盛んであることだ。
ミャンマーは世界で最も寄付をする国であるとのデータがある。
2016年版の世界寄付指数ランキングでは、ミャンマーが3年連続で1位となった。過去1カ月間に「困っている見知らぬ他人を手助けしたか」との問いに対して、ミャンマーの調査結果によると、「したことがある」との回答が91%を占めている。ミャンマーでは仏教の教えに従って、「慈善の精神」が尊重されているのとともに、「施しが来世の幸福をもたらす」との考え方が日常生活に根付いていることが、ランキング結果にも大きく影響しているものと思われる。
上は世界寄付指数に関する記事から引用したものだ。
英国のチャリティー団体「Charities Aids Foundation」が依頼して行った、全世界140カ国で寄付行為やボランティア活動についての調査の結果、ミャンマーは4年連続で1位らしい。
実際にミャンマーで住んでみて、本当に寄付をする機会が多かった。
僧院でお坊さんを招いて食事を振る舞う寄付会には、ミャンマー人に誘われて何度も参加した。
仕事を共にさせて頂いたミャンマー人に聞いてみたところ、「他人を幸せにする良い行いをして「功徳」を積むことで、自分も幸せになる」という考え方が、現地の人々の間では根強く残っているらしい。
ミャンマーは一部の地域を除いて治安の良い国で、日本以外で唯一、「財布を落としても戻ってくる国」として記事で取り上げられていた。
そんなミャンマー人の親切さは、根本的な部分は寄進の文化から来ているのではないだろうか。
この「功徳」の考え方については、日本人も少しミャンマー人を見習うべきで、他人へ幸せを分ける文化がもっと育まれると良いと思う。
でもミャンマーには「ちょっとそれはやり過ぎでは…?」と思うような話もいくつかあって、例えば貧乏な家庭で一生かけて貯めた、なけなしのお金を全てパゴダに寄付したといった話や、必死で海外で稼いだお金を、ほぼ全て故郷の家族に送金しているといった話も聞かれた。
ミャンマー人の資産家も例外ではなく、パゴダに数億円(現地としては数十億円の価値)を寄付したといった話も数多くあった。
寄進の文化は素晴らしいけれど、せっかく稼いだお金をもう少し自分たちへの投資に使うようにできれば、ミャンマーはもっと豊かな国になれるチャンスがあるのかもしれない。
6.東南アジアは観光地として最高!
僕は子供の頃からヨーロッパへの強い憧れを抱いており、いつかヨーロッパ観光をしてみたい、ヨーロッパで暮らしてみたいと強く思っていた。
あまりにヨーロッパが好きすぎて、ヨーロッパの素敵すぎる街並みが作られたメカニズムを学ぶため、大学では都市計画を専攻し、またヨーロッパの人たちに少しでもお近づきになるために、大学院ではポルトガルへインターンシップした経験がある。
正直な話、以前はアジア諸国にはそこまで興味はなかったし、東南アジアに行ったのはミャンマー出張が初めてだった。
しかし、ミャンマーに住んで東南アジア諸国を観光するうちに、そんなヨーロッパ至上主義は僕の中でいとも簡単に崩れ去った。
東南アジアの、スピリチュアルな雰囲気、観光地化していないありのままの姿、そして出会う人々の温かさ。
例えばミャンマーでは、バガンという街が好きになりすぎて計5回観光に訪れた。
また、普通は観光客が中々立ち入ることのできない宝石の街モゴックへも訪れた。
次々と新しい街を訪れ、街の文化に触れ、そこに暮らす人たちと話をすることで、好きな街がどんどん増えていった。
そして気付いたら、ミャンマー国内で気軽に行ける街はほとんど全部行っていたし、それらの街のほとんどに個人的な思い入れができた。
観光で一番記憶に残るのは、有名な観光地でも豪華なホテルでもなくて、やはりその街に住んでいる人の暮らしや街の歴史・文化に触れる瞬間なのだと、改めて強く感じた。
7.日本での「当たり前」は海外の当たり前ではない
ミャンマーでは、日本では当たり前だったことが中々できない場面が数多くある。
例えば、僕が赴任した2015年当初のヤンゴンでは、大型のショッピングモールがまだほとんどなく、日本のように新鮮な魚や肉が冷蔵された状態で売っている場所は数える程しかなかった。
また数少ないそれらの場所も、置いてある食材は大概にして回転率が悪く、長期間の保管で傷んでいるものも多かった。
そのため当時の一番新鮮な食材の入手方法としては、現地の人たちが御用達のマーケットへ行き、普通に気温30度を超える炎天下で、ハエがたかっているような肉や魚を買って帰ることだった。
また日本食レストランは数が少なく、特に僕は都心から少し離れた郊外に住んでいたために、ほとんど通うことはなかった。
それゆえに、それから2年半の間に新しいモールやデパートが次々と建てられるたびに、少しずつ新鮮な食材が簡単に手に入るようになったことが、いちいち最高に嬉しかったのを覚えている。
例えば、ケンタッキーのお店が初めてヤンゴンに開店した時は、それが駐在日本人の間での最大のニュースになったり。
安くて美味しいお寿司屋さんの情報が、日本人の間で噂として広まったり。
日本での生活では当たり前だった小さなことにも、ミャンマーでは日々感謝をして幸せを感じる暮らしがあった。
8.日本人はもっと自分の意見を突き通していい
日本は「しきたり」に厳しすぎる。少しでも「しきたり」を破る人は、出る杭が打たれるかのごとく、圧倒的なまでに排除される傾向がある。
それに対して、ミャンマーはルールを破った人も多少は許容する文化である。そもそもルールが大雑把であったり、決まっていないことも多い。
宗教や政治・権力に関すること以外、という但し書き付きではあるが。
そうした文化ゆえに、細かいことは気にせずに堂々と構えているような一面がミャンマー人にはあり、僕は多少なりともそうした考え方に影響を受けた。
また、一緒に働くチャンスがあったミャンマー人たちは、若くても自分のやりたいことをしっかりと主張していた。
日本でありがちな「周りの圧力で言いたいことが言えない」という状況があまりない。
辞職率もとても高いのがミャンマー。若年層は、1年間に約2割の人が辞職する。
そして転職先も、全く関係ない業界であったり、再度学生として学びたい等様々だ。
そのようにして、貧しいながらも自分の意思で日々を生きるミャンマー人との出会いが沢山あった。
彼らからの影響は小さくはなく、僕自身、「自分のやっていることについて、自分が気にするほど相手は気にしていないのだ」という感覚を身につけた。
そして、自分がやりたいことには、もっと果敢にチャレンジしても良いのだと知った。
またミャンマーで働く中でとても印象的だったのは、ミャンマー人がとても楽しそうに働いていることだ。
ミャンマー人は業務中でも楽しそうにお喋りをして、常に賑やかだ。お菓子を食べたり、音楽を聴いてる人もいた。
それに対して、日本人は真面目すぎる。
「上司の言うことは絶対」や「お客様は神様です」といった古い言葉に表れているが、こうした考え方で洗脳された社員は、経営者からすれば最も扱いやすい人材だろう。
日本人はもっと、自分の意見を突き通して良いし、自分の心の声に耳を傾ける時間を作った方が良いのだと思う。
そうした意味でミャンマー人の働き方に学ぶべき点は多くある。
9.日本はもっと海外に対してオープンであるべき!
日本に帰国して、日本には海外からの観光客がほとんどいないことと、英語を話す機会が日常生活で滅多にないことに、改めて驚いた。
日本は海外に対して閉じた国でありすぎる。もっとオープンであるべきだ。
もっとオープンに、海外の人たちと交流して、海外の考え方を取り入れて、海外の中での自分たちの強みと弱みを理解すべきだと思う。
そうは言っても中々日本人が海外に出られない主な理由として、語学があるだろう。
ただ、語学は正直現地へ行ってからでも何とかなると思う。
僕の今回のミャンマー赴任の場合でも、拙い英語で意思疎通はできたし、現地で学んだミャンマー語を使ってでも、日常のカタコト会話くらいであれば話ができるようになった。
語学も大事だが、個人的にはそれ以上に大事だと思うのが、相手の文化と自分の文化との違いを理解することだ。
ミャンマーで、このことができない日本人が多くいたのはとても意外に感じた。
一部の日本人が、ミャンマー人に対して、自分たちの意見を一方的に押し付けたり、頭ごなしに否定したり、バカにしたりするような場面が見られたのだ。
はっきり言ってしまうと、そんな状態では信頼関係の構築はできないし、良い仕事はできないだろう。
逆に相手の文化を尊重し、相手に敬意を払うことさえできれば、どんな場所でも生きていけるように感じる。
そして、このことは決して難しいことではない。
どんな場所に住む人も、バックグラウンドは異なれど同じ人間であり、同じような悩みを抱えて暮らしている場合が多いように思う。
考え方に違いがあるとすれば、それらはほとんどが住環境や受けてきた教育など、自分の力では変えがたい要素に影響されている部分が大きい。
そこに優劣はないし、あってはならないと思う。
相手のことをより深く知りたいと思う理由なんて、それで十分ではないだろうか。
10.海外赴任を通じて学んだ、海外での仕事で一番大切なこと
海外で働くと、仕事の幅が広がり、また一人一人の裁量の幅も広がる傾向がある。
それまで同じ会社の複数人で対応していたことも、自分一人で何とかしなければならないケースが多い。
そうした場合に、相手からは「何ができるのか」を強く問われる。
相手にとって利益となるアウトプットを出せる力が一番に求められる。
なので、海外で仕事をしたい人は、自分のスキルを磨き、アウトプットして形に残すことを普段から意識するべきである。
いざチャンスが巡ってきた時に、一人で対応できる力が身についている必要がある。
そして、海外で実際に働く際には、自分が何をできるのかをしっかりと周りへアピールすることが大事だ。
自分のスキルが相手から見えにくいと、信頼関係を構築する上で障壁になる可能性がある。
そうして自分に「何ができるのか」をアピールして、相手との信頼関係を構築したら、次は自分が「何がしたいのか」を上手に相手に伝えることが重要だ。
相手に自分の想いを伝えることで、チャンスが巡ってくる場合があるからだ。
そうして、自分の想いと相手のニーズが合致した時に、大きな成果を上げ、活躍している人たちが海外には沢山いた。
僕自身、ミャンマー赴任を経て、まずはもっと自分に「できること」を増やしたいと強く感じた。
ミャンマーの仕事は、色々な人に出会い、異なる文化や価値観を共有しつつ、一緒にものを作っていく、とても刺激的で面白いものだった。
ただ、自分に何ができるのかと自問した時に、相手に与えられるものが少ないと感じ、むしろ与えられるものが多くあった。
「もっと自分のスキルを磨きたい」とモヤモヤ過ごすことが多かったのが、東京へ帰る一つのきっかけとなったように思う。
幸運なことに、日本人は学ぶチャンスに恵まれている。
東京で言えば都市の規模は世界でも最大級であり、これだけ素晴らしい人や知識に出会うチャンスが沢山ある場所は、世界でも珍しいだろう。
ミャンマーに赴任する前と比べると、そういった意味でも日本の良い点をさらに知れたように思う。
東京に住むことのメリットを生かし、自分自身成長したいと、さらに強く思えるようになった。
また「何がしたいのか」でいうと、僕自身がしたいことは、自分の「できること」を増やしていくと同時に、自分の周りの人たち・比較的恵まれない人たちにも「できること」の選択肢を増やすお手伝いをすることだ。
こう思うようになったのは、割と僕がまだ小さい子供の頃からであったように思う。
きっかけは、TVで発展途上国での国際的な支援について特集していた番組を見たことだっただろうか。
例えばミャンマーでは田舎の小さな街へ行くと、大学を出たはいいが良い仕事が見つからず、日雇いの観光ガイドをしている若者がいたりする。
彼らは数百円かそこらの日当しか与えられず、なんとか食いつないでいる。
またミャンマーでは母国語で書かれた書籍が少ないので、身につく知識に偏りがある、さらに教育レベルもとても低いのが深刻な問題だといった話が聞かれる。
またミャンマーで有名なレストランの中には、親を失って(あるいは親に捨てられて)路頭に迷っていた子供たちを引き取って運営している場所が複数ある。
下は10歳にも満たない小さな子供が、調理・配膳・会計まで、とてもスムーズにこなしていた。
発展目覚ましいヤンゴンの中心地とは裏腹に、少し都心から離れると恵まれない環境に住む人たちも沢山いる。
急激な民主化により、生まれた貧富の差も激しい。
なんとか彼らに、自立して学び成長するきっかけを与えられないだろうか・・・ミャンマーではそのように考えて行動していた。
彼らの人生の様々なシーンにおいて、選択できる行動の幅を広げることが、彼らにとっての幸福度を上げることになると信じている。
僕は一旦日本へ戻ることになるが、東京でスキルを磨き、自分に「できること」を増やしたら、またいつか彼らのために何か貢献できれば良いなと思う。
そう考えて東京で働き始めたら、東京には学ぶチャンスも、チャレンジできる場所もとても多く、何て恵まれた環境なのだろうと思った。
ミャンマーで学んだことを生かしながら、学ぶ理由と方向性を見失わないように、これからも自分自身成長していきたい。
だいぶ長くなってしまいました。個人的な感想も多くなってしまいましたが、楽しんでお読み頂けたなら、とても嬉しく思います。
ここまでお読み頂いた方、本当にありがとうございました。
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